最終更新日 2024年11月1日 by arketcro
中日の代表エースといえば山本昌投手
山本昌の中日ドラゴンズの投手として活躍した選手です。
この選手は50歳まで投手として活躍したということで、投手としてさまざまな最年長記録を持っていることもでも有名な選手でもあります。
プロ野球の投手は選手として活躍する期間が短いとして知られるところですが、その中で彼は40を過ぎても現役にこだわって活躍を続けていて、さまざまな最年長記録を獲得するに至りました。
200勝をあげて名球会入りを果たすなどその成績が類まれな事は言うまでもありませんが、彼は何といっても長い期間にわたって現役を続けたことが最も多くの人から驚かれたことでしょう。
50歳で現役で投げているという事は今では考えられないことだったといっても過言ではありません。
彼は現役にこだわったという事もありますが、故障が少なかったというわけでもありません。
確かに致命的な故障というような事は少なかったという事はありますが、これは彼がしっかりと体のメンテナンスを行ってきたからといってもいいでしょう。
特に晩年は体のケアに対して十分すぎるぐらいにケアをしていました。
そして、そのケアは自分のトレーニング方法についてもしっかりとした考え方を持ってきたという事が関係しているようでした。
<独自の考えでトレーニングに励んだ山本昌投手>
例えば昔はトレーニング中に水は飲まないという事が常識であり、当然でしたがこうした考え方に付いても早くから否定的な考え方を持っており、投手は水を飲まないでひたすら走るのが良いとされていたような精神論的なものは、早くから否定する考え方をしていたようです。
そして、自分で考えて実践してこれは意味がある、これは意味がないという事を自分で考えてトレーニングをしていたという事で自分に対して責任を持つという事をしていたのです。
当時としては、こうした考えを持つこと自体が極めてまれであり、上の事に黙って従うことが美徳とされる時代でしたから、そうした時代背景を考えると彼のこうした行動は極めて少数派だったと言っていいでしょう。
何故なら当時は監督やコーチのいう事を聞かないと試合にすら出してもらえないという事が当然の考え方だったからです。
それはいかに有能な選手であってもでした。
今の様に少しでもいい記録を出すとちやほやされる時代ではなく、超有名選手を除いて普通の選手は監督のコマのようになるのが当然という考え方がまかり通る世界でした。
<50歳まで現役を続けることができた理由>
そうした世界に風穴をあけたのが山本昌ということになるのかもしれません。
彼は自分の行動に対して常に自分で責任を取るという事を貫き通しました。
自分で自分のマネジメントをするようになったプロ野球という事になるのかもしれません。
その結果が50歳まで現役を続けることが出来るようになったという他の選手では真似の出来ないことが出来た事につながったのでしょう。
自分がこうだと思うとひたすらにそれを貫く強い精神力があった事が、彼をここまでに育てたという気がします。
画像:https://twitter.com/yamamoto34masaより
実はプロ野球選手でここまで自分の意志を貫ける人はそうはいません。
というのは、プロの世界では自分で自分の責任を取るという事はとんでもなく意志が強くなければ出来ないことです。
何しろプロ野球は超人たちがほんのわずかな差で争っている世界ですから、どれが正解かなどほとんどの人が分からないのです。
子供時代を含めてほとんどの人がジャイアンのような感じで他の人を圧倒する力を持っていた人ばかりです。
負け知らずでプロ野球選手になった人がほとんどといってもいいでしょう。
そのような世界で競うわけですから、とんでもないハイレベルな競争が行われることになります。
まず常人の神経では持たないといってもいいかもしれません。
<究極の自己管理能力を持っていた山本昌投手>
当然、練習法などは毎日自分に問いかけることになり、それがいいか悪いなど自分で責任を取って行動するなど、とても出来る精神状態ではなくなる人がほとんどです。
世の中のスポーツ選手のほとんどがコーチを雇って指導を受けています。
これは技術を教わっているというよりは、精神的な支えをしていてもらっていると考えたほうが良いでしょう。
プロですから、既に技術的なものはほとんどの人がトップレベルで持っています。
それにも関わらずにコーチが必用なのは精神的に不安になる事を避けるためです。
人は不安になるとついつい逃げてしまいたくなるものですから、それをコーチに支えてもらうというわけで、このことを見てもいかに自分に対して責任を持つという事が難しい事なのかがわかるでしょう。
山本昌はその難しいことを一人で昔からやってのけてきたという事が凄い事なのです。
自分で自分に対して責任を持ち、トレーニング方法から試合で投げる投球数から全てを自己管理してきました。
場合によっては試合の途中であっても自分が決めた投球数を投げたからといってマウンドを降りるようなこともあったのです。
これは彼がやる気がないというわけではなく、自分の自己管理の現れだったというわけです。